浜松餃子を一言で表す定義は、『浜松市内で製造されている事』です。つまり、浜松で作られている事が重要で、それが特徴と結び付くのです。
日本に於ける焼き餃子文化は、ほぼどの地域も起源を同じくします。それは、「戦後、中国方面からの復員兵達が商売として始めた」ことです。中国での食体験を基に、戦後の混乱期を生き抜く為に食べ物を売る事にした訳です。きっと、様々な料理が作られた事でしょう。米を使ったものや小麦などの粉ものを使ったもの。恐らく、手軽に作れて食べられた麺類なども、この頃に多彩な味が生まれた事と思います。現代の様々な味の日本ラーメンに通じるものも、この辺りからが本格的に文化として始まったのかもしれません。そしてもうひとつ、それら新しい食べ物の中で日本人に愛されたものが、焼き餃子だったのです。
餃子は、中国では元来水餃子として食べられております。旧正月を迎える前日、所謂大晦日には、日本の年越しそばの様に水餃子を食べます。そしてその残りを、明けた正月に焼いて食べるのです。これは今も変わらぬ風習です。では、何故日本では敢えて焼き餃子になったのでしょう?それは恐らく、戦後という物資の不足した時代に、水餃子のスープにする材料がかなり手に入りづらかったのではないかと推察されております。もっと複雑な理由も有ったかもしれません。しかし、全国的に焼き餃子という調理法に展開している事からしても、やはり材料・物資の不足が一番に考えられるのです。
その為、各地域で手に入り易い食材が餃子の具材になりました。例えば、浜松以外で最も餃子で有名な宇都宮では、産地である所の「白菜」「ニラ」が選ばれました。養豚業などは余り無かったのでしょうかね?未だにお肉を使わない所もあるくらいですので。
それに対し浜松では、
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キャベツ:浜松市内で、もしくは隣の愛知県で豊富に作られていた。
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玉ねぎ:今でも有名産地だが、当時から盛んに作られていた。
・ 豚肉:元々養豚業が盛んで、流石にその当時は値段も高かっただろうが、餃子の具にコクを出すのに使用する事が出来た。
という素材特徴を持つ事が出来たのです。ですから、浜松餃子の定義である「市内で作られた」事が重要なのです。キャベツを中心にしてあっさり味でありながら、豚肉のコクを併せ持つ餃子。それが浜松餃子です。
そしてその味が評判を呼び、当時から餃子店には行列が出来たそうです。新しくて美味しい料理。新し物好きな「やらまいか」浜松人には、さぞかし好まれた事でしょう。
当時、それらの食べ物は、多くは屋台で販売されました。お店を構える資金も有りません。勿論浜松に於いてもご多分に漏れず、焼き餃子は屋台で売られておりました。浜松駅周辺には、一大屋台村のようなものが出来たと聞きます。しかし、屋台で餃子を焼こうにも、当時はフライパンしか有りません。焼き餃子は水で蒸すという行程が有り、鉄板では焼けないからです。ところが、味が評判になった浜松餃子の屋台では、押し寄せるお客さんに対応する為には、一度に多くの餃子を焼く必要が有りました。そこで考え出されたのが、
円型に並べて焼く
ことだったのです。浜松餃子の焼き方の特徴である円型焼きは、その美味しさが全ての始まりだったのです。そして、円型に焼いた結果、これを数人前に分けるのではなく、それそのものが商品となってしまいました。何故なら、あっさり味の浜松餃子は、いくらでも食べる事が出来たからです。
さて、そうなると円型に焼いたが故に真ん中に出来る穴、これが気になって仕方有りません。そこで、サービス心旺盛な浜松人の事、何かを付け合わせに、と考えた結果、これもまた容易に手に入れる事の出来た「もやし」に辿り着きました。これは画期的でした。浜松餃子にぴったりだったのです。あっさり味とは言うものの、やっぱり脂(ラードをたっぷり使った様です。これも養豚業が盛んであったが故でしょう)で焼いたもの、食べている内に脂っぽくなります。それを、もやしが綺麗にリセットしてくれたのです。そして更に餃子が食べられた訳です。浜松人が今でも、これでもかというくらい餃子を食べるのは、やはりこういう味のコラボレーションのお陰なのでしょう。
こうして、浜松餃子の味、円型焼き、もやしの付け合わせ、が完成したのです。
元々浜松駅周辺に在った屋台餃子ですが、噂が噂を呼び、人が人を呼び、どんどん人気が出て来ました。こうなると黙っていられない「やらまいか」浜松人。餃子店は瞬く間に郊外へとその数を増やしました。そしてこの様に広がりを見せた浜松餃子のお店では、様々な味が生まれたのです。あくまでキャベツが主体でありつつも肉を多くした店、ニラを使い始めたお店など。そうして、多様な味を持った『天然の餃子ミュージアム』たる浜松が誕生した訳ですが、ここで重要な事は、その時に生まれた「お持ち帰り文化」です。
元来浜松人は、外食を好みませんでした。従って、昭和40年代くらいまでは、あまり飲食業は盛んでなく、必ず出前が有ったくらいです。つまり、家で食べたかったのです。その為、屋台餃子の頃から既にそうなのですが、こと餃子に至っては、出前ではなく自らお店に赴いて、お持ち帰りをしていたのです。これは現代に至るまで脈々と受け継がれている文化で、何処の町内でも、歩いて買いに行ける様なお持ち帰りの出来る餃子店が大概2?3店は在るのです。
面白いのは、各餃子店は独自のこだわりを持っていて、自分のお店の餃子に合ったタレを持っています。甘めだったり酸っぱめだったり。ラー油(一味)もオリジナルが多いです。したがって、お店で食べる以外お持ち帰りをする時にも、このこだわりのタレや一味を付けて出します。一味は、油気が無い様にしてアルミホイルに包みました。今では小袋に密封されているタレやラー油を多く使いますので、あまり見なくなって来ました。しかし、それ程浜松餃子はこだわって作られて来たのです。
更に浜松でのこうした焼き餃子文化は、家庭の味にまで入り込んで行きました。夫々の家庭で、夫々のこだわりの餃子が出来て来るのです。これは、もとより工業都市の色合いの濃かった浜松では、かなり自然なことだったでしょう。ニンニクを多く利かせて、疲れて家へ帰って来るお父さんの帰りを待つ家族。不細工でも、一所懸命餡を包む子供達。そんな、一家団欒の中心には、いつも浜松餃子が在ったのです。
浜松では、実は明治の頃から餃子が食べられていたという情報が最近入って来ました。浜松餃子学会では、現在この調査に全力を挙げております。詳細が解り次第、また発表して行く予定です。